🌱「教育って、なんだろう?」私が出会った一つの答え

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「教育とは何か?」
私は長い間、この問いに対して明確な答えを持てずにいました。

知識を得ること?
誰かに教わること?
それとも、誰かに教えること?

本やネットの記事を読めば、効率的な学び方や精神論、成功哲学などが語られています。
けれど、それらはあくまで一方向のメッセージ。
読む私自身が「なるほど」と納得することもあれば、「何か違う」と違和感を覚えることもありました。


🤝 教育は、そんなに一方通行じゃなかった

実際の現場では、教育はもっと複雑でした。
社会に出てからも、私は多くの“教わる”と“教える”の場面に直面しました。

職場では上司や同僚の言葉から何かを学び、
時には「この考え方、いいな」と感じて取り入れることもあれば、
「こうはなりたくないな」と感じて反面教師にすることも。

つまり、私は「誰かから与えられる教育」ではなく、
自分で取捨選択し、意味づけをしていく教育の中に身を置いていたのです。

それでも、「教育とは何か」という根本的な問いには、ずっと答えが出せませんでした。
ただ知識を与えることでも、考えを押し付けることでもないはず。
けれど、それ以上の言葉が見つからなかったのです。


🌸 そして2025年春、私は“ある言葉”に出会いました

そんな私が、ある日ふと目にした言葉がありました。

「教育とは、他者を理解するプロセスである」

この一文に出会った瞬間、私の中で何かがストンと落ちたのです。
まるで、それまで言葉にできなかった思いが、すっと形になったような感覚でした。

「なるほど、そうか」
教育とは、“誰かを理解したい”と願うところから始まるもの。
そこには上から目線の指導も、正解の押し付けもいらない。
ただ、「あなたを知りたい」と思う心が、教育の出発点なのかもしれない。


🪴「理解したい」と願う、その瞬間から

それは、必ずしも対等な関係である必要はありません。
先生と生徒、親と子、カウンセラーとクライアント、先輩と後輩——
立場が違っても、年齢が違っても、「理解しようとすること」は誰にでもできることです。

そのプロセスの中で、私たちは少しずつ自分を知り、
相手との距離を縮めていきます。

私にとっての教育観は、ようやくここで芽を出しました。


✏️あとがきに代えて

「教育って、なんだろう?」
その問いに、すぐに答えを出す必要はないのかもしれません。

けれど、もしどこかで

「教育とは、他者を理解するプロセス」
という考え方に出会ったとき、
それがあなたの中に静かに残るものとなるなら——
それはきっと、あなた自身の教育観が育つ一つのきっかけになるのかもしれません。

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