思考のクセからみる自己理解・他者理解
博識に見えた理由
久し振りに会った友人との会話の中で、
私はふと立ち止まる瞬間があった。
玄関ドアのシリンダー(鍵)を自分で交換した話をすると、
友人はこう言った。
「そのタイプなら、自分でできるよね」
私は少し驚いた。
私は、何日もかけて調べ、動画を何本も見て、
頭の中で何度も工程をなぞり、
ようやく交換できたのだから。
それを、友人は一言で理解していた。
友人は昔から物知りだった。
勉強だけでなく、生活のこと、道具のこと、仕組みのことをよく知っていた。
思い返してみると、
友人は子どもの頃、プラモデル作りが好きだった。
説明書を読み、
構造を理解し、
完成形を思い描きながら、少しずつ組み立てていく。
それはきっと、
物事を構造として理解する経験を、
遊びの中で積み重ねてきた時間だったのだと思う。
玄関ドアのシリンダー交換をしたとき、
友人が「そのタイプなら、自分でできるよね」と言った理由も、
今なら少し分かる気がした。
私の原体験と、思考のクセ
一方で私は、幼い頃、
祖父と一緒に飛行機を作ろうとしたことがある。
けれど途中で飽きてしまい、
「もうやめる」と言って、
完成させないまま終わらせてしまった。
その経験は、長い間、私の中に残っていた。
私はどこかで、
「作ることは苦手」
「形にするのは難しい」
そう思い込むようになっていた。
立体的なものを作る遊びよりも、
私はパズルが好きだった。
正解やルールが示されていて、
それを一つずつ当てはめていく作業に、
なぜか安心できた。
私自身の変化
今回のシリンダー交換を通して、
私は自分の思考のクセに気づいた。
私は、
すぐに手を動かすよりも、
まず調べ、
比較し、
理解し、
頭の中でイメージしてから、行動する。
これは、
私なりの思考と行動の傾向だった。
そしてそれは、
決して劣ったものではなかった。
素直になれない私も、私
正直に言えば、
こうした説明を最初から素直に受け取れる人間では、私はない。
「どうせ良いように言っているだけでは?」
そんな気持ちが浮かぶこともある。
けれど私は、
疑いながら、
距離を取りながら、
何度も考え直し、
自分の経験と照らし合わせて、
納得できたものだけを自分の中に残していく。
私は、すぐに信じる人ではない。
けれど、納得できたことは、ちゃんと自分の中に根づかせる。
それもまた、
私の思考のクセであり、特性なのだと思う。
ここまで書いてきて、整理してみたこと
ここまで書いてきて、
私は自分の思考の傾向を、
もう少し整理してみたくなった。
人には、
「作りながら理解する」タイプと、
「理解してから進む」タイプがいるように思う。
| 視点 | 作りながら理解するタイプ | 理解してから進むタイプ |
|---|---|---|
| 思考の進み方 | 試行錯誤を重ねる | 構造を把握してから動く |
| 安心感 | 手を動かすことで得る | 正解や見通しが見えることで得る |
| 主な特徴 | 外に形を作っていく | 頭の中で構造を組み立てる |
私が当てはまるのは、後者だった。
だから、
完成形や道筋が見えないと不安になり、
見通しが立つと、深く集中できる。
これは欠点ではなく、
特性だった。
あの「飛行機の挫折体験」の再解釈
あの飛行機の出来事は、
「作るのが向いていない証拠」ではなかった。
・幼い私には工程が長すぎたこと
・完成までの見通しが立たなかったこと
・「遊び」が「課題」に変わった瞬間、興味が切れたこと
それは、
とても自然な発達反応だった。
けれど私は、
その一場面を
「自分の性質」だと意味づけてしまった。
人は、
印象的な出来事ほど、
自分を縛る物語にしてしまうことがある。
私がたどり着いた答え
今回の出来事を通して、
私がたどり着いた答えは、こうだ。
人は「できる・できない」で分けられるのではない。
「理解のしかた」が違うだけ。
そして、
自分の思考のクセや特性を振り返り、理解することで、
人は自分なりの生き方を見つけていける。
博識に見えた友人も、
不器用だと思い込んでいた私も、
違う道を通って、同じ場所に立っていただけだった。
おわりに
自分の思考のクセや特性を知ることは、
自分を変えることではない。
ただ、
これまでとは少し違う目で、
自分や他者を見るようになる。
それだけで、
生き方は、静かに、少しずつ変わっていく。
私は今、
そう感じている。







