「私がやったほうが早いから」
「ここで断ったら、誰かが困るから」
「私が少し我慢すれば済むことだから」
「私がやれば、この場は穏やかに収まるから」
「これも1つの経験だし」
そう考えて、引き受ける。
その場は、それで収まることがあります。
誰かと揉めることもない。
仕事も進む。
場の空気も悪くならない。
だから、そのときの自分の判断としては、間違っていなかったように感じるかもしれません。
けれど、それが何度も続いているうちに、
「なぜ、いつも私なんだろう」
「どうして私ばっかり苦労しなければならないのだろう」
と思うようになることがあります。
気づけば、面倒なことを引き受けるのは自分。
人と人の間を調整するのも自分。
誰かがやらなければ、自分。
不機嫌な人がいれば、場を整えるのも自分。
そして、周囲からも、
「この人ならやってくれる」
「この人にやってもらおう」
と思われているように感じる。
本当は、もう疲れている。
本当は、引き受けたくない。
それなのに、また同じことをしてしまう。
すると今度は、周囲だけではなく、
「どうして私は、いつもこうなんだろう」
と、自分自身にも嫌気がさしてくることがあります。
今回は、そんな「役割が固定されてしまった人間関係」について考えてみたいと思います。
最初から「あなたの役割」だったわけではないかもしれません
人間関係の役割は、最初から誰かに決められているとは限りません。
小さなやり取りの積み重ねから、少しずつ形ができていくことがあります。
たとえば職場で、
誰もやりたがらない仕事が残っている。
誰も手を挙げない。
少し気まずい沈黙が流れる。
その空気に耐えきれず、
「じゃあ、私がやります」
と言う。
一度だけなら、それほど大きなことではありません。
けれど、同じことが何度か続くと、
周囲に、
「この人は引き受けてくれる人」
「面倒なことは、この人にやってもらおう」
という認識が生まれることがあります。
すると次からは、最初から声をかけられるようになる。
頼まれると、
「前もやったし」
「断ったら悪いかな」
「忙しいけれど、頑張れば出来なくもないし」
と思って、また引き受ける。
そして、その経験がさらに、
「やっぱりこの人に頼めば大丈夫」
という認識を強くする。
こうして、
行動が役割をつくり、その役割が次の行動を求める。
そんな循環が生まれることがあります。
役割は、周囲だけがつくっているわけでも、自分だけがつくっているわけでもありません
ここは、とても大切なところです。
「周囲が私に押しつけている」
だけで考えると、
自分には何もできないように感じます。
反対に、
「私が何でも引き受けるから悪いんだ」
と考えると、
今度は自分を責めることになります。
けれど実際の人間関係は、もう少し複雑です。
誰かが頼む。
自分が引き受ける。
次も頼まれる。
また引き受ける。
断りにくくなる。
周囲も、それを自然な役割だと思うようになる。
本人も、
「ここは私がやるところなのかな」
と思うようになる。
人間関係の中で、お互いの反応がお互いの次の行動に影響しながら、
いつの間にか一つの役割が固定されていく。
そんなことがあります。
これは、誰か一人を悪者にするための考え方ではありません。
むしろ、自分の行動もこの循環の一部に含まれているのだとすれば、
自分の行動を少し変えることで、この循環にも働きかけられる可能性がある
ということでもあります。
「我慢すれば丸く収まる」は、本当に間違っているのでしょうか
「私が我慢すれば丸く収まる」
という考えそのものを、HARUBERRYではすべて否定したいわけではありません。
人と関わっていれば、自分が少し譲ることもあります。
今日は相手が大変そうだから、自分が多めに引き受けることもあるでしょう。
家族や友人のために、自分から動きたいときもあります。
それを自分で選んでいて、それほど負担でもないのなら、必ずしも問題ではありません。
問題になりやすいのは、
「今回は私がやろう」という選択が、「いつも私がやる役割」に変わっていくことです。
さらに、
「本当は嫌だけれど、断れない」
「私がやらないと空気が悪くなる」
「相手が不機嫌になるくらいなら、自分が我慢したほうがいい」
「周囲から、『この人がやるもの』と当然のように思われている」
となってくると、
そこには「自分で選んでいる」という感覚が少なくなっていきます。
いつの間にか、
押し付けられたものを引き受けることが当たり前になり、
「この人なら、頼めばやってくれる」
「少し強く言えば、引き受けてくれる」
という関わり方まで生まれてくることがあります。
そして、自分で選んでいたはずの「引き受ける」が、いつしか「引き受けなければならない」に変わっていく。
そうなると、役割を担うことそのものが、少しずつ自分を疲弊させていきます。
第3回で考えた境界線には、
自分で選べる余白
がありました。
「引き受けること」が問題なのではありません。
引き受ける以外の選択肢がなくなっていくこと。
そこに、役割固定の苦しさがあります。
なぜ、また同じ役割になってしまうのでしょうか
「今度こそ、何でも引き受けないようにしよう」
そう思っていても、気づくとまた同じような立場になっている。
そんなこともあります。
それは必ずしも、意志が弱いからではありません。
たとえば、
誰かが困っていることに早く気づく。
場の気まずさを察知する。
仕事が止まっていることが気になる。
誰も動かない状態に落ち着かなさを感じる。
頼まれた瞬間に、相手が困る姿を想像する。
断ったあとの空気まで考える。
そうすると、ほかの人より早く、
「自分が動いたほうがいい」
という結論にたどり着きやすくなります。
そして実際に動けてしまう。
仕事ができる。
調整もできる。
相手への配慮もできる。
その能力があるからこそ、周囲から頼られることもあります。
つまり、
その人の長所が、役割固定の入口になることもあるのです。
だから、
「気づかない人になろう」
「冷たい人になろう」
とする必要はありません。
必要なのは、
気づいたことと、自分が引き受けることの間に、少しだけ間をつくること
なのだと思います。
最初の実践は、「すぐに引き受けない」
誰かに何かを頼まれた。
困っている人がいる。
誰も手を挙げない。
そんなとき、これまでなら、
「いいですよ」
「私がやります」
と反射的に答えていたかもしれません。
そこで、すぐにYESを出さない。
たとえば、
「少し確認してから返事します」
「今持っている仕事を確認してもいいですか」
「いつまでに必要ですか?」
と、一度止まってみます。
大げさな拒否ではありません。
相手と対立する必要もありません。
ただ、
頼まれる → すぐ引き受ける
という、これまで自動的に続いていた流れの途中に、
「自分で考える時間」
を入れます。
その時間があることで、
「本当に私がやる必要があるのか」
「今の自分に余裕はあるのか」
「これは誰の役割なのか」
「私は引き受けたいのか」
を考えられるようになります。
これは小さなことに見えます。
けれど、固定された役割を変えていくときの、大切な一歩です。
YESかNOかの二択にしなくてもいい
役割固定に困っていると、
「断れる人にならなければ」
と思うことがあります。
でも、すべてを断る必要はありません。
たとえば、
「今日はここまでならできます」
「今回はできますが、次回は難しいかもしれません」
「ここまでは私がやります。その先はお願いできますか?」
「今これを引き受けると、こちらが遅れます。どちらを優先しますか?」
という伝え方もできます。
これは、
YESとNOの間にある選択肢
です。
第3回で考えたように、境界線は一本の固い壁ではありません。
その日の余裕。
相手との関係。
自分の役割。
仕事の状況。
そうしたものによって、線を調整してよいものです。
「断るか、全部引き受けるか」
ではなく、
「私はどこまでなら引き受けられるだろう」
と考えてみます。
誰も動かないとき、すぐに「穴」を埋めない
これは、役割固定を考えるうえで大切な場面です。
会議などで、
「では、これは誰がやりますか?」
となった。
誰も手を挙げない。
沈黙する。
気まずい。
そんなとき、いつも自分が、
「では、私がやります」
と言ってきたとします。
その瞬間、場は助かります。
話も進みます。
けれど、それが繰り返されると、
「誰もやらなければ、あの人がやってくれる」
という形ができていくことがあります。
だから、ときには、
その沈黙をすぐに自分が埋めない
という選択もあります。
これは、困っている人を見捨てるということではありません。
本来その場全体で考える必要のある問題を、
自分一人の問題へ変えないためです。
自分がすぐに穴を埋めなければ、
「では、誰が担当するのか」
「仕事の配分をどうするのか」
「そもそも、この業務を誰か一人が追加で背負うことが適切なのか」
という問題が、その場に残ります。
その問題を、
本来考えるべき人たちのところへ残しておく。
それも、一つの関わり方です。
役割を変えようとすると、周囲が戸惑うことがあります
ここは、知っておいたほうがよいことです。
これまでいつも引き受けていた人が、
「今回は難しいです」
と言うようになる。
すぐには返事をしなくなる。
できる範囲を伝えるようになる。
すると、周囲が戸惑うことがあります。
場合によっては、
「前はやってくれたのに」
「最近、変わったね」
「協力してくれなくなった」
と思われることもあるかもしれません。
その反応を見ると、
「やっぱり私がやったほうがよかったのかな」
と不安になります。
そして、元の役割へ戻りたくなる。
でも、少し違う見方もできます。
これまで続いていた役割分担が変われば、
周囲にも、その変化へ慣れる時間が必要になる
ということです。
相手が戸惑ったからといって、
自分の境界線が間違っていたとは限りません。
ここで「3つの円」を使ってみる
前回の記事では、人間関係の中で起きていることを「3つの円」に分けて考えました。
たとえば、これまで引き受けていた仕事を断ったとします。
自分が変えられること
どう伝えるか。
どこまでならできるのか。
必要な説明をするか。
代わりにできることがあるか。
自分の仕事量を確認する。
次に同じことが起きたとき、どう対応するか。
相手が決めること
断られたことをどう受け取るか。
不満を持つか。
「以前と違う」と感じるか。
自分をどう評価するか。
誰にもコントロールできないこと
職場そのものの人員不足。
突然発生した仕事。
すでに決まっている組織上の事情。
自分一人では変えられない環境。
ここを分けてみると、
「相手に嫌な顔をされないようにすること」まで、自分の責任にしなくてもよい
ことが見えてきます。
もちろん、伝え方は考えられます。
必要な配慮もできます。
けれど、その先で相手がどう感じるのかまで、自分一人では決められません。
役割を変えることは、「別人になること」ではありません
これまで周囲を助けてきた人ほど、
境界線を変えることに罪悪感を持つことがあります。
「冷たい人になってしまうのではないか」
「自分らしくなくなるのではないか」
と思うかもしれません。
でも、
人を助けることと、
いつも助ける役割になることは、
同じではありません。
気づけること。
配慮できること。
困っている人を助けたいと思えること。
それらを捨てる必要はありません。
ただ、
「気づいたから、私がやる」
の間に、
「私は今回、どうしたいだろう」
「本当に私が背負う問題なのか」
という問いを入れてみる。
助けたいから助ける日があってもいい。
今日は難しいと断る日があってもいい。
一部分だけ手伝う日があってもいい。
そこに選択肢が戻ってくることが大切なのだと思います。
「また同じことをしてしまった」と気づいたとき
役割固定は、長い時間をかけてできていることがあります。
だから、
「今日から変えよう」
と思っても、また反射的に引き受けてしまうことがあります。
そのたびに、
「またやってしまった」
「結局、私は変われない」
と自分に嫌気がさすかもしれません。
でも、一度引き受けたからといって、すべてが元に戻るわけではありません。
あとから、
「今回は引き受けたけれど、本当はどうしたかったのだろう」
と振り返ることもできます。
次は返事を少し待ってみる。
次は一部分だけ引き受けてみる。
次は一度だけ、
「これは誰が担当することになっていますか?」
と聞いてみる。
役割を変えることは、
突然まったく違う人になることではありません。
これまで自動的に選んでいた行動を、一つずつ「選び直せる行動」に戻していくこと。
その積み重ねなのだと思います。
まとめ|「いつも私」を、少しずつ選び直していく
「私が我慢すれば丸く収まる」
その選択によって、守られてきた関係もあったかもしれません。
助かった人もいたかもしれません。
だから、これまでの自分を、
「間違っていた」
と否定する必要はありません。
けれど、その役割が苦しくなっているのなら、
これからも同じ役割を続けなければならないわけでもありません。
すぐに返事をしない。
自分の余裕を確認する。
全部ではなく、できる範囲を伝える。
誰も動かないとき、少し待ってみる。
自分が担うことと、ほかの人が担うことを分けてみる。
どれも、小さな変化です。
それでも、自分の反応が変われば、
これまで当たり前だった人間関係の流れにも、少しずつ変化が生まれることがあります。
そして、誰かに頼まれたとき。
誰も動かない空気を感じたとき。
いつものように、
「私がやらなきゃ」
と思ったとき。
すぐに動く前に、一度だけ問いかけてみます。
「私は今、これを引き受けたいのだろうか。」
そしてもう一つ。
「引き受ける以外に、どんな選択肢があるだろう。」
「いつも私がやる」から、
「今回は私が選んでやる」へ。
その小さな違いが、固定されていた役割を少しずつ動かしていくのだと思います。
HARUBERRYでは、「断れる人になりましょう」と一つの答えを押しつけるのではなく、その人がこれまでどんな役割を担ってきたのか、なぜその役割から離れにくいのかを一緒に整理しながら、その人にとって無理の少ない境界線や選択を考えていきます。
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