「○○さんなら、分かってくれると思って」
「○○さんは優しいから」
「いつも頼りにしていますよ。〇〇さんなら上手にやってくれるから」
「これくらいなら、お願いしても大丈夫ですよね」
そんなふうに言われると、少しうれしい。
自分のことを信頼してくれている。
頼りにしてくれている。
そう感じることもあります。
人に優しくしたい。
困っている人がいたら、できることなら力になりたい。
相手の気持ちも大切にしたい。
それは、自分が大切にしてきたことなのかもしれません。
けれども、あるとき気づく。
「どうして、いつも私ばかりが言われるんだろう」
「どうして、いつも私が受け止める側なんだろう」
「本当は嫌だったのに」
「私だって、腹が立つことはあるのに」
それでも、
「こんなことを思ったら、性格が悪いのかな」
「期待に応えないと、私の評価が下がるかな」
と、自分の気持ちを引っ込めてしまう。
もしかすると苦しいのは、
「いい人」であることそのものではなく、「いい人でい続けなければならない」と感じるようになっていること
なのかもしれません。
「いい人」であることは、悪いことではありません
最初に大切にしておきたいことがあります。
人に優しいこと。
相手の気持ちを考えられること。
困っている人を助けること。
場の雰囲気を考えて行動すること。
どれも、それ自体が悪いわけではありません。
むしろ、その人が大切にしている価値観であることもあります。
だから、
「いい人なんてやめればいい」
「もっと自分勝手になればいい」
という話ではありません。
問題になるのは、
自分で選んでいたはずの優しさが、いつの間にか「そうしなければならない役割」に変わってしまうこと
です。
「優しくしたい」が「優しくしなければ」に変わる
最初は、自分で選んでいたのかもしれません。
困っている人がいた。
悩んでいる人がいた。
だから手伝った。
相手がつらそうだった。
だから話を聞いた。
仕事が大変そうだった。
だから少し引き受けた。
自分がそうしたかったから、そうした。
ところが、それが何度も続いていくと、周囲にも少しずつイメージができていきます。
「あの人は優しい」
「あの人なら怒らない」
「あの人なら話を聞いてくれる」
「あの人なら引き受けてくれる」
そして、自分自身も、
「私はそういう人だから」
と思うようになる。
すると、これまで自分で選んでいたはずの優しさが、
「優しくしなければならない」
という役割に変わっていくことがあります。
「いい人」という言葉には、期待がついてくることがある
「本当に優しいですね」
「○○さんなら分かってくれると思いました」
「○○さんだからお願いできるんです」
こうした言葉は、純粋な感謝や信頼として伝えられていることもあります。
だから、相手が意図的にこちらを利用しようとしている、と考える必要はありません。
ただ、その言葉を受け取った側に、
「その期待に応えなければ」
という気持ちが生まれることがあります。
「優しい人だと思ってくれている」
「信頼してくれている」
「頼りにしてくれている」
だから、
「ここで断ったら、がっかりされるかもしれない」
「そんな人だと思わなかった、と言われるかもしれない」
「今までの自分と違うと思われるかもしれない」
そんな不安が生まれる。
いつの間にか、
「いい人でありたい」から、「いい人でいなければならない」へ。
少しずつ変わっていくことがあります。
人間関係の中には「あなたはこういう人」という空気ができていく
HARUBERRYでは、人間関係をその人の性格だけではなく、言葉にされない期待や役割、圧力、関係性などを含めた「空気の構造」から考えています。
人間関係が続いていくと、
「この人はこういう人」
というイメージが、少しずつ作られていきます。
しっかりしている人。
頼りになる人。
怒らない人。
話を聞いてくれる人。
場をまとめてくれる人。
断らない人。
そして、
「いい人」。
もちろん、そうした評価のすべてが悪いわけではありません。
ただ、その評価が強くなるほど、
そのイメージから外れる行動を取りにくくなることがあります。
いつも穏やかな人が怒る。
いつも引き受けてくれる人が断る。
いつも話を聞いてくれる人が「今日は聞けない」と言う。
すると、周囲が戸惑うことがあります。
そして本人も、
「こんなことをしたら、私らしくないと思われるかな」
と不安になる。
ここに、言葉にはされにくい「役割」が生まれていきます。
「そんな人だと思わなかった」が怖い
前回の空気構造シリーズ第6回では、
NOと言うことそのものより、NOを言ったあとに起こるかもしれないことが怖い
ということを考えました。
第7回では、そこからもう少し内側を見てみます。
怖いのは、
相手が不機嫌になることだけではないのかもしれません。
「そんな人だと思わなかった」
と思われること。
これまで相手の中にあった、
「優しい私」
「理解してくれる私」
「頼れる私」
というイメージが崩れること。
それが怖い場合もあります。
だから、
本当は嫌でも笑う。
腹が立っても穏やかにする。
疲れていても話を聞く。
余裕がなくても引き受ける。
そうやって、
相手が期待している「自分」を守ろうとする。
でも、それが続けば、自分自身の気持ちは少しずつ置き去りになっていきます。
「本当は腹が立っている自分」を悪者にしない
「どうして私ばかり」
「それくらい自分でやってほしい」
「今日はもう話を聞きたくない」
「正直、腹が立つ」
「いつも褒めてくれるけれど、本当にそう思っているのかな」
「都合よく頼むために、そう言っているだけなのでは」
そんな気持ちが出てくることがあります。
ところが、「いい人」でいようとするほど、その感情に戸惑います。
「こんなことを思う私は冷たいのかな」
「性格が悪くなったのかな」
「もっと優しく受け止めなければ」
「相手の本心を深読みしすぎたかな」
そうやって、自分の感情まで否定してしまう。
でも、怒りや不満が出てきたからといって、すぐに「悪い人」になったわけではありません。
その感情は、
「今の関わり方は少し苦しい」
「自分の負担が大きくなっている」
「本当は、ここまで引き受けたくない」
ということを知らせている場合があります。
感情にそのまま従う必要はありません。
けれども、
感情が教えてくれていることまで、なかったことにしなくてもよいのです。
「期待されている自分」と「本当の自分」は、いつも同じとは限らない
周囲から、
「優しい人」
と思われている。
それは、たしかに自分の一面なのかもしれません。
でも、人にはいろいろな面があります。
優しくできる日もある。
余裕がない日もある。
話を聞きたいときもある。
今日は静かに過ごしたいときもある。
助けたいと思うこともあれば、
「今回は自分でやってほしい」
と思うこともある。
それでもいいはずです。
ところが、
「私はいい人でなければならない」
という役割が強くなると、
その役割から外れる自分を許しにくくなります。
だから必要なのは、
「いい人」という自分を捨てることでも、これまで大切にしてきた優しさを否定することでもなく、
「私は、いつも同じ役割でいなくてもいい」
と少しずつ認めていくことなのかもしれません。
相手の期待に応えないことと、相手を大切にしないことは違う
誰かに期待されたら、応えたいと思う。
それは自然なことです。
でも、
相手の期待に応えることと、相手を大切にすることは、いつも同じではありません。
今日は話を聞けないと伝える。
今は余裕がないと伝える。
できないことを断る。
違うと思ったことを伝える。
それによって、相手が少し残念に思うこともあるかもしれません。
けれども、
相手を一人の人として大切にしながら、自分の状態や考えを伝えることはできます。
境界線は、相手を拒絶するための壁ではありません。
相手も大切にする。
そして、自分も同じ関係の中にいる一人として大切にする。
そのための線でもあります。
「いい人ならどうする?」ではなく、「私はどうしたい?」
何かを頼まれたとき。
誰かから相談されたとき。
相手が不機嫌そうなとき。
これまでは無意識に、
「いい人としての自分を保つためには、どうすればいいのだろう」
と考えていたかもしれません。
そんなとき、一度だけ問いを変えてみます。
「私は、どうしたいだろう?」
助けたい。
それなら助けてもいい。
今日は難しい。
それならそう伝えてもいい。
少しならできる。
それなら、できる範囲を伝えてもいい。
本当は嫌だ。
まずは、その気持ちがあることに気づくだけでもいい。
すぐに答えを出せなくても構いません。
大切なのは、
周囲が期待している役割から答えを出すのではなく、自分自身にも答えを聞いてみること。
その小さな余白です。
「いい人」をやめる必要はありません
人に優しくしたい。
困っている人を助けたい。
相手の気持ちを大切にしたい。
それが自分の大切にしている価値観なら、手放す必要はありません。
ただ、
優しい人であることと、いつも相手の期待に応えることは、同じではありません。
助けることを選ぶ日もある。
断ることを選ぶ日もある。
少しだけ手伝うこともある。
今日は自分を休ませることもある。
それでも、あなたの中にある優しさまでなくなるわけではありません。
「いい人」という役割を守るために行動するのではなく、
自分で選んだ結果として、誰かに優しくする。
そうなったとき、優しさは「守らなければならない役割」ではなく、もう一度、自分自身が選べるものになっていきます。
自分を小さくしなくても、人を大切にすることはできる
人間関係の中で生きている以上、私たちは誰かから期待されます。
そして、自分も誰かに期待しています。
期待そのものをなくすことはできません。
大切なのは、その期待に気づいたとき、
「私は、それに応えたいだろうか」
と考えられることです。
期待に応えることを選んでもいい。
応えないことを選ぶこともある。
全部ではなく、一部分だけ応えることもできる。
そうやって、自分で選べる余白を残しておく。
「いい人」でいるために、自分の気持ちをいつも後ろへ下げなくてもいい。
自分を小さくしなくても、人を大切にすることはできます。
相手を大切にする人間関係の中に、自分自身も一緒に入れておく。
それが、「いい人」という役割に縛られず、人と関わっていくための一つの方法なのだと思います。
「相手と私の関係ってなんだろう」、
「相手から見た私は、どんな存在なんだろう」…
会っているときにも、別れたあとにも、そんなことを何度も考えてしまう。
そして、人との関係を大切にしようとするほど、心が疲れ切ってしまうことがあります。
HARUBERRYでは、そんな人間関係の中で長く続いてきた苦しさも、単に「気にしすぎ」と片づけるのではなく、その人と相手との間にどんな関係や期待、役割が生まれているのかを、一緒に整理していくことを大切にしています。
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